おやじの楽工(がっこう)

早期退職おやじの「楽」しい再生「工」場

覚醒・ぼくの二胡道 (山狸

ぷはあっーーーーー。

 

一昨日は、上の子の始業式。

昨日は、下の子の入学式。

今日は、二人とも朝早くから登校。

 

 ついに、長いトンネルを抜け、学校生活が戻ってまいりました。

 

 約40日間、子どもたちは本当によく家で耐えたと思います。楽しいこともなく、生真面目なので外へ出て友達とも遊べず。子どもたちはストレスいっぱいだったことでしょう。まあ、家族で過ごしたり話したりする時間が増えて、私的にはうれしかったですが、、。

 

 ですが、実際には、コロナの影響が加速度的に広がる中、さっぱり喜べない、心配ばかりの新学期。

 子どもたちも、休み中に見たテレビやネットニュースでコロナの恐ろしさを知り、マスクをきちんと着用し電車で登下校します。友達に会えるしうれしいはずの子どもたちの背中が、何となくどんより重く感じるのは、私だけではないでしょう。

 どこでコロナに感染するか分からないし、心配をすればきりがない。だけど行かないといけない。駅に送った帰り道、つい先ほど見た我が子が駅の階段を登る姿を思い浮かべ、子どもをコロナとの戦いに送り出すようなつらい気持ちになります。

 自分は、しばらくは整体のお客さんを常連さんに限り営業する方針にしたので、新規のお客さんも来ず、結局は一人で自宅待機状態。(整体のお客さんの平均年齢は80歳近いので、もろにコロナの影響を受けそうなので、予防のため)

 「残り少ないマスクを無駄に消費しない」ことが、唯一私にできることか?と思いながら、家事をしながら家にこもる生活になる。

 

 ああ、早くコロナの心配をしないでいいようになってほしい。

 

 

 さてさて、二胡ですが、三月の中盤以降ほとんど練習しませんでした。しばらく触らないと、「どうせ、指も動かないだろうし、音程もひどくなっているだろう」と全く二胡に気持ちが向かわなくなります。

 ですが、そこは命の恩人と言ってもいいくらいの二胡のこと、日々気になります。そこで先日、先生にレッスンをお願いして、恥ずかしながら、ノー練習のままで行ってきました。

 すると、いつも間違いがちなところは確実にミスるし、音程も思うようにはいかないものの、なんだかとってもいい感じ。久々なこともあり、楽譜に食らいついて我を忘れて先生の音に合わせて一緒に練習しました。二胡をひくことがこんなに気持ちがいいなんて。再認識💛とても気持ちよく練習を終え帰ることができました。1か月半ぶりのレッスンでした。(もちろん、マスク付きの)

 

 そして今日。子どもたちを送り出し、洗濯機のスイッチを押して、超久々の練習をスタートさせました。基礎練習から始め、曲をひき始めると、

    なんかいい。

       とてもいい。

         音程が合うとか外れるとかではなく、

            なんだか思うようにひけている。

               左手と右手、二胡と一体感がある。

                  周りのことが見えないし気にならない。

                      ここにあるのは自分と二胡のみ。 

   あれ、これって??ゾーンとか言うやつ???

 

 まあゾーンなんてその道で極めた人が感じることだろうから、自分のはゾーンというにはレベルが低すぎる(笑)

 でも、何だかとても気持ちのいい練習ができました。二胡を習い始めた頃の懐かしい感じ。そうだ、あの頃も「上手くひきたい」とか「いい音が出したい、音程が・・・。」とか考えず、がむしゃらに二胡に没頭していたな。3年間練習を積み、「そろそろうまくひきたい」とか変な色気が出てきたのが、このスランプの原因だったのかな。

 

 もう、そんな欲や色気を持つのはやめよう。ひたむきに、がむしゃらに、練習するのみ。それのみが、今回味わった二胡との心地よい一体感のようなものに近づく一歩なんだろうと思う。

 そして、それこそが、「上手くひく」ではなく、自分を・自分の心を表す(救済する)二胡、自分の求める二胡との一体化なんだろうと思う。

そして、それがきっと、僕の二胡の音・音色ということになるのだろう。

 

 明日もがんばろっと。

 

 

 

(((最後あたりの下りは、音楽のことがさっぱり分かっていない者が、自分の感覚で書いた文章なので見当はずれだったり、不快な思いをされたらご容赦ください。)))