二胡の練習ができていない。
ひかなければという思い・あせりも当然あるが、残念ながらその一方で少しホッともしている。
子どもたちがコロナ休校の影響で家で過ごすようになり、私の生活は一変した。
みんなが仕事や学校に出かけた後の静かな朝のひととき、洗濯機のスイッチを押し洗濯機が回り始めればそこから約1時間が私の二胡の練習時間。そんな優雅な一日のスタートのはずが、、、。
高2生は朝食を食べたらお勉強。邪魔はできない。
大してやりたくもない勉強に朝っぱらから立ち向かわなければならずイライラしている高2生の気持ちを考えると。そして、「マスクしてれば少々ぐらい大丈夫」と遊ぶ友達からの報告をうらやましそうにながめ、有り余る元気を押さえ誰とも遊ばず生真面目に家で過ごそうとしている高2生の心中を察すると。
二胡ってかなり大きくて高い音色だし、私はまだまだ練習中だから相当数の音程を外すのでとても聞き苦しい。そんな二胡を朝っぱらからひこうものなら。なかなか練習するタイミングが見つからない。さてさてどうしたものか。
その反面、ホッともしている。いまだスランプは抜け出せず、あまり二胡に触りたくない気持ちもまだどこかにある。なかなか気持ちの整理も難しいものだ。
今日は、少し元気を出してあの日のことを思い出してみよう。
随分前にもこの日記に書いたような気がするが二胡を始めたきっかけと、後『古都』との出会いについて。そうすれば、また初心に帰って頑張れるかもしれない。
転勤中に調子を崩し、身近だった前職場の誰にも知られることなく職を失った私。ある日、転勤前一番親しかった人たちに誘われて夜の食事会に行くことに。行っても話も合わないし気が重いなあと思って電車に乗っていたあの時。
目に映ったのは、川と山、そしてあまりにも美しい夕焼け。その夕焼けを見ているとふと頭の中できれいな音色が聞こえた。その哀愁のある音色はこの夕やけにぴったりだと思った。その音色を辿り何の楽器なのだろうかと考えた。よくは分からないが、馬頭琴???。(「スーホの白い馬」って国語の教科書の中の話に出てきたような)急いでスマホで検索をしてみる。
すると、馬頭琴はなかなか見つからないものの、二胡や二胡の教室の案内が目に留まる。おおっ。これか?
まだ、何をする気力も体力もなく日頃何もできず体を横たえ倒れていた私。この飲み会に重い心と体を引きずっていけば、間違いなく明日は寝込むこと確定の私。そんな私の心に、この音色は大きく美しくそしてはかなく哀愁のある心の声として響き染み渡った。
そうだ。二胡を始めてみよう。何もなくなり気力も体力もやる気も元気も失なった私にとって、これが一筋の希望となった。
「二胡をひけるようになる」
これが私の新しい人生における最初の目標となった。
そして、翌朝には講座に連絡をし、その後、今の先生の指導を受けるようになったのだから、今さらながらではあるが大したやる気がでたものである。
何もなく廃墟と化した我が心に、初めて差した一筋の光。それが二胡。
ちょっと、長々書き過ぎちゃったな。
でも、少し二胡を大事に思う気持ちを思い出した。
『古都』については、また次回にするとしよう。