小遣いがたまった時に、食べたいもの(外食)を夜な夜な考える。
考え出すとドキドキが治まらない。何にしようか。
熟慮に熟慮を重ねた結果、一軒のラーメン屋さんが心に留まる。
これだ!
おばあさんばかり4,5人が運営している、なんだかとても懐かしい感じのするラーメン屋さん。
うまいのか?と聞かれれば、すごくうまいのかどうかは分からないが、また食べたくなるラーメン。
これだ!これだ!これに決定!これで間違いない。
食べるものが決まると無性に食べたくなる。
食べたい食べたい食べたい!。
やりたいことリストの1番目は大福だったはずなのに、、、。
もはや大福はすっとばかして、頭の中はラーメン一色。
食べに行けるまであとどのくらいかかるのか?その時まで店は存続しているのか(失礼極まりない話だが)?
小遣いがまだ少ないし貯まるのにもかなり時間がかかるから、心が落ち着かずなんだかそわそわする。
家のお金で食べに行けば行けないことはないし、生きていく上で必要なものを食べるだけだから、別に悪いことをするわけでもない。行こうと思えば、すぐ行けるはずだ。
でも、そうじゃない。自分のお金で払って食べることができる、その喜びを感じながら食べたいのだ。(実際は多分、一人で食べに行く気恥しさと、家のお金で一人で外食を楽しむ後ろめたさのため、行けないのだと思う。人込みはまだ苦手だし(笑))
自分の小遣いなら堂々と店に入れるような気がするだ。自分に自分の背中を押してもらう感じで。
こうして、考えてみると、我ながらなかなかいいシステム考えついたものだ。
自分のしたいことをして小遣いを得る、だがそのことは、実は、自分の一つ一つの行動に意味や価値を付け加えることになっているのだと思う。してもしなくても、0円だった、また、あまり価値を見出すことが出来なかった行動が、値段をつけただけで、輝いて見えてくる。(ただのお金好きか???)
もちろん、毎日の家事には今ここで考えている以上の価値があるだろう。母には、「家事を一生懸命するだけでも、今は十分じゃないか」とも言われる。
主婦業をお金に換算することもできるのかもしれない。でも、それは頭の固い私には、なかなかなじまない。どうしても「家族だから(そうするのが)当たり前」という思い込みがあるから。
そうではなく、自分が自分として自分の中だけで意義を認められる行動に、値段という単純で分かりやすい価値を与えるのである。
頑張ったことに対する報酬。よく考えれば、小さい子の「ポストから新聞を取って来たら1円}的な考えだ。でも、まずはそこから、ラーメンを食べたい、いや、自分の価値を積み重ねていきたい。