夜が明けた。
午前中、なんとなく 時間をやり過ごす。(落ち着かないので)
11時、意を決して車に乗り込む。
ラーメン屋さんにGO!
道々考える。
今日は「自分の小遣い」だから、気兼ねなく食べに行けるんだなあ。
「自分の小遣い」だから、頑張って食べに行けるんだなあ。
普段ならば、日中仕事や学校で頑張っている家族を差し置いて、昼に外食は申し訳ないし、家のお金(家計)しか持っていない自分が、そのお金で一人外食を楽しもうとすることなど考えられない。だから、一人で食べに行くなんてことは、まずない。
もちろん、それだけが食べに行けない理由ではない。なんとなく人がいるところに行きたくない、行けない感覚が、心身を病んで以降、今までに増して大きくなっていた。だから、今回のようなことがなければ、元気を出して一人で食べに行こうという気になれなかっただろう。
ある意味、小遣いにお金の面と精神的な面の両面で、背中を押してもらって、今日は食べに来れたのだと思う。
店に入り、メニューを拝見。
チャーシューメン大盛 900円
あれ、なんか違う。850円だったような?(50円の差はでかいぞお)
でも、前回我慢してるから(店の定休日で)、お金には余裕がある。
「チャーシューメン大盛!」
気持ちよく注文を済ませ、窓の外を見る。
ああ、いま自分はラーメンを食べに来ているのだ、と実感する。
いざ、ラーメンが運ばれてくる。
目の前で湯気を上げるどんぶりを見つめる。
このどんぶりにたどり着くまでに、およそ2か月。
整体をし、運動をし、二胡をひき、体調を崩し、といろいろあった。
そうした中で、積み重ねられたものや思いが、このどんぶりの中にすべて詰め込まれている。
言葉にならない。
一口一口かみしめながら食べる。
うまい!・・・
うまいと思う。・・・多分。
うまいかどうかよりも、この一杯を食べられる幸せで満たされている。うまいのまずいのと味のことを言っている場合ではないのである。
(トータルでは懐かしくおいしい味でした。)
帰りの車でも心は幸せに満たされていた。
おなかはパンパン。いつもなら苦しく後で胃が悪くなるところだろうが、今とてもいい気持ち。
なぜかって?
おなかの中が幸せで満たされているから💛
1182円ー900円(チャーシューメン大盛)=282円
通算小遣い残金 282円(貯金箱)
さて、日々コツコツと頑張りおいしいものを食べ、大いに満足した。
自分の意義のある行動で獲得した小遣いを一つの形として表すことができた。
さあ、ここから次のステップに進もう。
次は何をするか、何を買うのか、何を食べるのか。
大切なことは、今までと同じ。
日々コツコツ頑張ること。
そして、できることを増やすことである。