日記「みさちゃんとともに」

日々の暮らしを綴ります。

年俸よ さらば (資助

 僕は「年俸制」だ。

 と言えば、ちょっとは格好がつくだろうか。給料がそうなら格好いいのだが、僕の場合は「小遣い」がである。小遣い制の元同僚からは、よく「いいなあ」と羨望のまなざしを向けられた。

 なかなか説明してもわかってもらえないが、実際には大していいわけではない。20年ほど前、結婚した当初、たまたま年末に個人的にお金が入ったので、それの一部を次の年の小遣いとして一括でもらう約束を妻としたのがきっかけだった。そして、その年の小遣いは1年間プールされ翌年の年俸として支給されるというだけの話だ。

 同僚たちの中では「画期的」とうらやましがられながらもいたってシンプルで、なおかつ「年俸」だからといって家計に迷惑をかけるわけでもないやさしいシステムだ。

 蛇足だが、今は働きに出ていないので年俸は0。当然なことであるが、やはり家計にやさしいシステムなのだ。

 

 元同僚にうらやましがられたのには、もう一つ理由があった。それは、私も含めみんなわずかな小遣いの一部で、パチンコなる遊びを嗜んでいたからだ。(ギャンブルとしてではなく、ほんのお遊びですので)パチンコは、あのドキドキワクワクの興奮感がたまらない一方で、ポケットの財布との神経戦を強いられる。お金をたくさん使っているように思われるかもしれないが、独身の頃ならいざ知らず、我々はそんなに大した額を使わない。なぜなら、元々財布にあまりお金が入っていないからである。

 その少ないお札がパチンコで浪費されてくると、手汗の滲む片手でポケットの中の財布をぎゅっと握りしめ、頭の中で来月の小遣い支給日までの日数計算が始まる。今日も絶対に負けられない闘いなのである。(結果的によく負けますが。)かつて僕も、「絶対に負けられない。」と思い、ラストの一枚に手を伸ばすことも、「もっと出てくれないと困る」と持ち球を必要以上に減らし、傷が広がることもよくあった。

 その解消に「年俸制」は大きな役割を果たした。もちろん、一度にお金を使いすぎるリスクはあるが、そこは当時まだあった気合と自制心で乗り越え、節度を守って闘った。ポイントは、財布の中に「千円札があと一枚しかない」か「まだ何枚かゆとりがある」かの違いだったと思う。負けた場合でも、同じ負けでも「年俸制」の方が、心に余裕をもってやめることができのだ。

 おっと、やばい。自己紹介がてら年俸制の話をしていたら、とんでもないところに話がいってしまった。口は禍の元。お口チャックである。(また、滑るかもしれないが)僕の話の続きはまた今度。

 

 気を取り直して。

    次回は、まめペンのお話です。

2年前の自分に挑む  (耕司

ちょうど2年前、実家の畑で野菜作りをしようとした。

 それまでは休職を繰り返していた。3月に退職することが決まり、長く体を休めていたので、「そろそろ何とか動きださないとやばいのでは」と思い始めた頃だった。『実家のそばの直売所に出荷ができるらしい』という話を聞いた。

 今の今、すぐに何か仕事ができるわけでもないし、実家に行けばできそうなことだ。農家になれるほどの広い畑はないが、いくらかは出荷できるのではないかと思い、軽い気持ちでやってみることにした。

 しかし、当然現実は甘くない。冬の間はまだよかったが、暖かくなるや否や一面に蔓延る草、とってもとってもきりがない。スギナが根を畑全体に張り巡らせて非常に厄介だ。しかも、いろんな種類の野菜をバラバラに植えているので、草が非常にとりにくい。「打たれても打たれても立ち上がる精神で頑張る」と言えば聞こえはよいが、やっと立ち上がろうとしたばかりの自分には、それを乗り越えることは、あまりに酷だった。次第に実家から足が遠ざかる。そして、また、、、家での生活に逆戻りとなってしまった。

 実際は、毎日のように実家に通うこと自体が、精神的にも肉体的にも重荷になってきていたこともあると思う。まだ自分が思っているほどまで回復できていなかったのだ。手続き上、退職したからと言って、一瞬で全てが切り替わり心機一転できるわけではない。「退職=即・新しい人生」といかないのだということを痛感した。

 

 あれから2年。 

 心身共に少し回復し、今度こそ多分、立ち上がれそうな気配を感じる。私は畑仕事に行かなくなったが、父が細々と出荷を続けてくれていたおかげで、まだルートは生きている。今度は立ち止まってしまわないように、そしてくじけないように、細心の注意を払いながら、まず草に負けない効率のよい仕事のやり方を探して準備を始めた。

 畑仕事は重労働だし気候の影響も受ける。暑さ寒さを含めしんどいことも多いが、「出来が悪い野菜は家族で食べてもいいのだし、いいものができれば多少でも出荷しよう」ぐらいに思って頑張っていこうと思う。そうするうちに、きっと体力・気力もついてくるだろうと思っている。

 

 次回は資助のお話です。

1年間の修行へ  (整一

整体を習うことになった。

 我が子が痛めたところを治してもらいに整体に通っているうち、整体の先生から私に、「習ってみないか」という話をいただいた。

 毎日家でくすぶりつづけてきた中で、ちょうど、「毎日働きに出て何時間も仕事をするだけの体力や気力には自信がもてないが、そろそろ何か動かないと・・・。でもどうしたら・・・。」と二の足を踏んでいた時だった。そこへ、週に3回、1回が2時間程度の研修と聞いて、心が動いた。

 「今の自分でも、何とかぎりぎりできるのではないだろうか。」

 

 研修を受け始めて1か月半。いくつか変化が・・・。

 一つは、目が少し良くなった。何年も毎日毎日室内で過ごし、近いところばかり見ているから、目が疲れていて、近くは見えにくいし、当然遠くはピントが合いにくい。「これが老眼というやつかも。何もしていなくても年だけは取るんだな」と失意の日々を後悔し、ショックを受けていた。ところが、整体に行くようになって、車に乗って外出することが増えたので、必然的に遠くを見るようになり、ピントが合いやすくなってきた。相変わらずの疲れ目に変わりはないが、ありがたいことである。

 もう一つは、行き帰りを含め約4時間の研修に慣れてきたことだ。今思えば、いきなり仕事に就いて毎日長時間働くようなことは、まだ難しかったのだと思う。たった週3の整体であっても、最初の一か月くらいは、行くこと自体に抵抗もあり、しんどくなることもあった。それでも、「働きに出て自分で何かをするというのはまだ無理でも、今は教えてもらえるのだから、行きさえすればきっと何とかなるはず。短い時間だし。」と心に言い聞かせながら通った。先生はもちろん、先輩もとてもいい人たちで、だんだん慣れてきた今は、少し楽な気持ちで通うことができるようになってきている。

 

 整体はなかなか難しく大変だが、幸い我が家には施術の実験台になってくれる家族が複数いる。1年後に整体の技術を身につけられるよう頑張りたいと思う。

 まあ、今はそんなところだ。

 

 次回は、耕司のお話です。