日記「みさちゃんとともに」

日々の暮らしを綴ります。

生まれ故郷に思う。

 昨夜、布団に入りぼんやりしている中で、ふと考えた。

 

 私の実家のそばに、公会堂という地区の集会所がある。

私の父の年代以上の人たちがそれぞれの持てる技術と体力でつくり上げた代物だ。

(ずっと昔、大工さんや左官さんがいたので、教えてもらいながらみんなで立てたそうだ。)

今使われているのは、イベント事が行われるときのみ。

 この場所で、週に一度でも、気軽に立ち寄れる時間を作ってはどうだろうか。

 

 なぜそんなことを思ったかというと、、、。

 先日実家に行った時に、近所のおじさん(83歳)がやってきた。

私が実家に行くと、よく両親と3人でこたつで話をしているおじさんだ。

田舎ながらの、共に地域に生きてきた人たちの心温まる交流だ。

 でも、その実、そのおじさんは家に居づらいらしい。

なので、食事を済ますと早々に遊びに来ていることがあるのだ。

 もちろん、来てもらえばいいし、

我が家的には何の問題もない。

 

 でも、実際問題として、そんな風に、

家に居づらかったり、一人ぼっちで孤独だったり、

話したくても話し相手がいなかったりするお年寄りが、

他のお宅にもにもいるのではなかろうか。

 

 それならば、公会堂を週に一度、半日だけでも開放して、

来たい人が来たい時に来て、話をしたりお茶を飲んだりできる

ようにしてみてはどうだろう。

 管理人的な役割をもし私に任せてもらえるなら、

半日そこに居て、来た人にお茶をふるまったり、

世間話をしたりできるのではないだろうか、と思ったのだ。

 私自身もこの地域で生きてきた時間が長いので、

お年寄りのことも地域のこともは結構知っている。

気軽な話し相手ぐらいにはなれるだろう。

 多少電気代や場所代が必要になるかもしれないが、

まあ、それくらいは整体の収入から出してもいい。

 自分の存在意義を感じることが出来ること・自分の生きがいへの

投資と考えればいいだけの話なのである。

 

 

 という話を今日実家に行って両親にしてみた。

母は、好意的に話を聞いてくれたが、

父は、意義は認めてくれながらも、あまりいい顔をしてはくれなかった。

 というのも、地区づきあいは、結構難しいものらしい。

お年寄りの集まりをするだけで、

いろいろなことが問題になったり、

気を使い合ったりで、結構大変だという。

 「我が家の片隅で喫茶的な感じでしたら?」とまで言う。

 実際に世話役などをしている父からしたら、

私の案は、かなり困難なことのようだ。

 それを聞いて、さすがに私も、とりあえずその案をひっこめることにした。

 まあ、どうしてもしなくてはならないことでもないからね。

 

 

 生まれ故郷のお年寄りたちが、今どんどん年老いていっている。

私はめんどくさがりだから、若いころはあまり好意的には思わなかったが、

お年寄りたちは、地域の草刈り、お宮やお寺の世話、神社の祭りなどなど

「年間何十回集まるんだ?」というくらい集まっては仕事をしていた。

 人間関係もあっていろいろ大変だっただろうが、

それでも太い地域の絆がそこにはあるのだと思う。

 その人たちが、歳を取り動きにくくなっている現状がある。

みんなで長時間集まるのはしんどくて無理でも、

ちょっとお茶を飲みに行って、お年寄りがもし誰もいなくても、

誰か人と(私と)話がちょっとできて、

気晴らしができる空間が提供できたらいいと思ったんだけどな。

 残念!

 

 

 たまに、ちょっとは人の役に立つことを考えてみた私でありました。