久々の日記となる。
前回の計画のことはなかったことにしよう(苦笑)
いろいろがんばれたらいいなあ、と思う。 常にそう思う。
いろいろ考え、頑張ろうと決意する。
そして、たまにこの日記で宣言してみたりする。
いざ取り掛かる。
だが、頑張ろうとすればするほど、体に力が入らない。
かえって決意する前よりもひどい生活になる。
頑張らねば、、、というストレスがそうさせるのか?
このサイクルを幾度となく繰り返してきている。
どうしてそうなってしまうのか。
それは、きっとたぶん、、、。
例えば、
不運にも辻斬り(古い(笑))にあい、真っ二つにされたとする。
息絶える。
なのに、自分はなぜかそこにまだ立っている。
周りの人に助けを求めようとしても声は出ないし、相手に触れることもできない。
自分はそこに立っているはずなのに、存在するはずなのに。
でも、自分はただそこに立っている。
この感覚が、今だに自分の中に色濃く残っているからなのだろうと思う。
突然(精神的に苦しむ中で)、
誰にも知られることなく息絶え(退職し)、
周りに人は無く(誰も遠慮で声をかけてはくれないし、こちらもかけられない)
今までに人生全てをかけて取り組んできた仕事はもうそこにはない。
割り切って新しい人生を、、、。頭を切り替えていこうと思う。
でも、自分のことではあるが、なかなか思うように踏ん切りがつかない。
それだけ、失ったものが大きかったとも言える。
やさしい家族はいるし、何とか妻の給料で暮らしてはいけているので、
ありがたいしとても感謝している。
でも、それ以前の問題として、自分自身が自分自身にとても息苦しい。
自責の念と後悔がどうしても頭から離れない。
いったい、どうすればいいんだろうか。
以上で、苦しいお話はもうおしまい。(幾度となく繰り返したから)
苦しむこと4年、その後4年合わせて8年。お疲れさまでした。
ここで、一区切りつけようと思う。(この日記でこのことに触れるのは)
わずかながら明るい展望をもって、(マッチの火程度の)
微妙に前向きに、(ピサの斜塔くらいの角度に)
今出せる微妙に漂う程度の力で、(バナナを食べるくらいの)
這う様に進みながら、(届かないテレビのリモコンに手を伸ばすくらいの感じで)
人生をちょびっとでも楽しくいきたいと思う。
次回、その「楽しむ仕組み」について、書いてみようと思う。
今回は、熟考した上に、すでにちょびっと始めているから、ひょっとするとうまくいくかもしれないと期待している。
うまくいかなくても愛嬌ということでお許しを。
キーワードは「無理をしない」
もっとわがままでいいんだ、自分を縛る鎖を取り払え!