おやじの楽工(がっこう)

早期退職おやじの「楽」しい再生「工」場

二胡の練習について考える (整一

 先日、地域の祭りで二胡を演奏させてもらってから、少し考えていることがある。

 

 二胡が上手くなりたい。ただただ上手くなりたい。どうすればいいんだろうか。

 そう思って、日々練習に励んでいるが、「うまくなる」っていったいどうなることなんだろうかとふと思う。自分は二胡で何を目指しているのだろうかと。

 話によれば、級の獲得を目指すこともできるようだ。今は働いてないのでお金がないので無理そう。また、40代も後半になった今、今後どこまでの級に挑戦できるか疑わしい。(時間とお金、機会があれば挑戦してみたい気は心の底にはあるのだが、、。)

 「もっと早くに習い始めていれば、・・」とも思うが、今こんな状況になった自分でなければ、二胡に出会うことはなかったので、まあそれは考えないことにしよう。

 では、何を目指すのか。・・いや、「目指す」と言ってしまうこと自体が、本来の目的を見失わせることになっているのかもしれない。

 そう。本来は、ただ二胡を気持ちよく演奏できるようになって、心を開放してやりたいだけなのだ。そのためには、習い始めのギーギーという摩擦音ではなく、弾いている自分が聞いて心地よい音にしたい。いろんな曲に出会い、ある程度難しい曲もできるようになりスキルも上がったら、自分の気に入った曲を気持ちを込めて演奏できるようになりたい。ただ、それだけなのだ。

 もし、もっとできるようになったら、地域の祭りなどに参加してお年寄りたちが昔を懐かしんだり心地よくなれたりするような演奏をしてみたい。前回の演奏は、「二胡はこんな初心者でも楽しく練習できたり、曲を弾いたりできるんですよ」という意味の演奏だったので。)

 最近の私は、早く上手くなりたいという気持ちが先走り、ちょっと欲張りすぎていたのかもしれない。新しい曲を習うと、早く全部弾けるようになりたくて、必死に覚えようとする。一応弾けるようになるが、それはただ弾けるだけである。楽譜上正確に弾けても、曲を楽しむところまでは行けていない気がする。

 「全部できるようになったので、次の曲を習おう。」と次々に新しい曲を習うのをだけを良しとせず、楽譜上弾けるようになっても、同じパートを繰り返し繰り返し練習し、まずはそのパートが気持ちよく弾けるようになってから、次のパートの練習をするようにしてみよう。進度は遅くなっても、その方がきっと楽しいだろう。

 そんな気持ちで一曲一曲を味わいながら練習を楽しんでいこうと思う。焦ることなく、毎日コツコツと。

 

 次回はまめペンのお話です。